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とあるメイのマスター
上雄信内駅跡を確認した方、凄いです! 私は現地見て、早々に探索を断念しましたから(笑) それにしても、雄信内駅周辺が完全無住化の一方、超秘境駅の上雄信内駅跡付近に僅かに住民がいるのは皮肉ですね。
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とあるいずなのマスター
雄興神社にも行ってきました。鳥居の笠木が朽ちて落ちてしまっていたのがなんとも物悲しい感じがしました。
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とあるいずなのマスター
上雄信内駅跡周辺のタンタシャモナイ地区も民家は農家が3軒ほどあるくらいで、あたり一面牧草地の人口希薄地帯です。雄信内駅の定期利用者はいなさそうな雰囲気でした。
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とあるいずなのマスター
上雄信内駅跡まで歩いてみました。駅前のT字路を左、その先のY字分岐を右に進んださらに先、太陽光パネルがある場所から線路を見渡したあたりが上雄信内駅跡地です。ゆっくり歩いて1時間くらいかかりました。
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とあるいずなのマスター
2年ぶりに訪問しました。立派な木造駅舎はありますが駅前は潰れた廃屋が点在する草ボーボーの荒れ地で、完全にゴーストタウン化しています。これは寂しいけど廃止もやむなしかもしれません。
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とあるメイのマスター
雄信内市街の公共交通機関と言えば、スクールバス(一部、一般利用可)と通院バスが充実。昭和期には天塩市街から雄信内市街を経て問寒別、天塩中川の両駅へ繋がる路線バスがあったが、雄信内駅は無視されたか?
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とあるメイのマスター
雄信内市街は天塩町、雄信内駅は幌延町なので、幌延町による駅廃止の説明会では雄信内市街の住民は蚊帳の外。それでも、反発の声や廃止反対の声は全く上がらなかったようだ。
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とあるメイのマスター
そのT字路を右折、天理教の施設と啓徳小学校を過ぎ、雄信内川を渡った先が雄信内市街だ。駅から徒歩で30〜40分。人口100人程の小市街だが、役場支所、診療所、Aコープなど揃う。雄信内駅と全く無関係な感じ
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とあるメイのマスター
駅を右へ出てT字路を左折で、すぐに雄信内大橋で天塩川を渡る。渡って暫く行くとT字路付近に数戸の集落、東雄信内。駅から2km弱、最も近い民家だ。
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とあるメイのマスター
雄信内市街まで歩くのも一興。駅周辺無住なのに「市街」とは何ぞ?と思われるかもだが、元々「雄信内」は天塩川の対岸の地名。明治30年代に入植が始まり市街地が出来、大正期に対岸に駅開業、架橋後両岸が栄えた?
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とあるメイのマスター
駅からタンタシャモナイ(上雄信内)までの中間にある下平橋は見所。かつては線路が通る橋梁で、土砂崩れ多発のため鉄路はトンネルへ、元橋梁は道路へ転用。天塩川の眺めが雄大。ただし、落石と熊出没注意!
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とあるメイのマスター
雄興地区の2所帯ある地区は「タンタシャモナイ」という地区で、最盛期には10数所帯の農家があり、上雄信内駅もあった。駅跡は全く視認不能で、しかも牧草地や畑地は言うまでもなく私有地なので、立入禁止。
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とあるメイのマスター
雄興地区在住の2所帯は、駅付近ではなく、駅から東へ2〜3km離れた所に在住。駅出て左へ30分歩くとY字分岐。左手線路下くぐるとすぐに牧場と牧場主の家。右手牧草地が広がる先、T字路右が農家。
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とあるメイのマスター
雄信内駅廃止について、幌延町は地元住民対象に説明会を開いたそうだが、雄興地区在住の2所帯相手に、雄興集会所でやったんだろうか?
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とあるメイのマスター
踏切渡ってすぐ、雄興集会所。雄興地区在住は2世帯でいずれも2km以上離れる。旧・雄信内小学校跡地で、閉校記念碑が建つ。ここから、すぐ左手の道へ。角に廃工場(?)がある。廃屋群が見えたら程無く駅前だ。
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とあるメイのマスター
雄興神社から駅裏の道を行く。線路際に鬱蒼と草が生え、草の間から駅舎が見える。かつては、駅裏へ抜ける道もあったのでは? 耕作地か家屋があったらしく、開けた無人の野原がある。舗装道路に出て左へ踏切を渡る。
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とあるメイのマスター
駅前T字路左へ徒歩10分程で通称「神社踏切」渡った先は視界が開け、右手鉄塔の手前、木陰に謎の養蜂箱、その左に阿修羅の石仏、更に左手にプレハブがあり、これが雄興神社、大きな鳥居と昭和9年奉納の石塔あり。
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とあるメイのマスター
風格のある木造駅舎は木材集積地として栄えた名残。今は無人地帯だが最盛期には駅周辺に50戸強あり商店街もあった。駅前すぐのT字路両側に廃屋数軒、商店跡も。農業倉庫のみ原型を留める。
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とあるリコのマスター
いい感じの木造駅舎。7年前にここから上幌延駅まで歩いたのは良い思い出
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とあるメイのマスター
雄信内滞在約3時間半。それでも、時間が足りない(^.^; 周囲を3時間歩き通し。①駅周辺ルート②タンタシャモナイ(上雄信内)ルート③雄信内市街地ルート オススメ3ルートあり。後日紹介します。